20080223


大学時代の友人が京都で結婚式を挙げるというので行くことに。


中学生の頃より、親友のような存在が自分にはいないんだなと感じ始め、高校から大学にかけて自分の性格を理解し始める(理解しているつもりになる)なかで、自分の他人との関係作りがどういうものなのか、そういうのに慣れていった気がする。それは寂しい話では全くなくて、むしろ自分らしさというか、人との関係性をどう作っていくか、距離をどうとっていくかというのは人それぞれなんだな、ということを知ったという意味で、一つの成長過程のようなものだったと思う。その分、自分はかなりなかのよい友達は普通に比べて多かった。


といいながらも、大学が終わる頃から社会人になっていく中で、なんとなく親友めいた人がいるのではないか、という気もしてきた。これは、それまでの人との付き合い方に多少なりとも飽きてきた、疲れてきたからだったかもしれない。そうは言いながらも、それでも僕は他よりも多少中のいい友達は多いほうだとは思うけど、いまだに。


何でそんな話をするかと言うと、もしかしたら親友といえるのではないかと、一方的に思えるやつが今回結婚したから。わざわざ京都から招待されたくらいだから、自分の思いはそこまで間違っているわけでも無いかもしれない。


彼とは年に1回位、東京に戻ってきたときにタイミングが合えば深夜にファミレスで会うくらいだけど、自分としては、信用できる人間として一目も二目も置いている。尊敬もできるし生き方も全然違うけど刺激をもらえる。
きっと、自分にとっての親友の定義というのは、会う頻度とか価値観の共有とかそういうことじゃないのだな。


同じサッカーサークルでいた奴と二人で、彼の結婚式に参加する。彼とも1年以上ぶりに会ったが、普通に同じ部屋に泊まり、朝方まで部屋で飲み、でも違和感無く。別に一緒に旅行によく行くとか、毎月飲むとかでもないのに、彼と俺とは右サイドのハーフ(MF)とバック(DF)とで一緒に何試合もやってきたという、それだけなんだけど。
そういう些細な、他の人にとってはどうでもいいことの中に、何かつなぎとめるものがあるものなんだろう、人間関係というものは。



結婚式は上賀茂神社で神前。初めての経験だったけど、神がかったようにタイミングよく雪が降ったりやんだり。学生時代は毎年京都に来て社寺を見て回っていたが、祭事空間の中で具体的なプログラムに参加することで、本来目的とされている神聖で厳かな雰囲気を体感できたのは、感動の一つだった。