議論が全くかみ合わないということ

議論がかみ合わないときにどうするか、ということを、実はこれまであまり考えたことが無かった気がする。
改めてここ最近この問題について立て続けに考える機会があった。

かみ合わないのだけれども、その上でどうしたいのか、かみ合わせることで自分を満足させるためにかみ合わせるということにどれほどの価値があるのか、ということを踏まえて、一歩引いた対応を取ることが、自分のためにも、物事のを進めるためにもいいんだなということだと思う。

そういう意味で、日本人は確かに議論が下手とか英語が下手とか言われることが多いけれども、実際議論がうまいか下手か抜きで、とにかく大きな声で叫んでるだけ、中身のないことを早口でまくし立てているだけ、という本質的ではない状況がとても多いので、そういう中で挑んでも無駄だなという諦念の下での対応であるならば、ある意味クールなんだと思う。

インド人は友達というレベルではいい人多いけど、仕事という意味ではやはりなかなか難しい。
それはその人のレベルのせいなのかもしれないけれども。