高知への旅 02

11時頃起床。朝方目が覚めたときはまだ酔っ払っていたが、部屋の外にそっと置いておいてくださったウーロン茶をがぶ飲みし、東京より持参したウコン錠剤を飲んでしばらく横になっていたら何とか復活。土曜市が14時までしかやってない、ということで12時過ぎにあわてて出かける。友人夫妻は平気な様子だが、こちらはまだ気持ち悪い。

車でしばらく走った公園のようなところで青空の下、土曜市が開催されていた。

「池公園の土曜市」

農家のひとやクラフト製品のお店とか、レストランとかウクレレ奏者とか、いろんな人がなんとなく集まってきている雰囲気が非常によかった。
あと、東京から来たためか、モノの値段がとても安い。安いというか、リーズナブル。
風がビュンビュン吹きすさぶ中、ウクレレ奏者が突然現れ、特設ステージ(といっても台が一つぽんとあるだけ)の上でゆるく弾き始めたりする。歌声は風音のようだ。


その後は桂浜行ったり、牧野富太郎記念館に行って植物の世界に浸かったり。桂浜は大河ドラマの影響もあり、凄い人手だった。
高知の光景をtweetしていたら、ヒロユキから牧野記念館情報が来て、是非行こうということになる。市内の高台に位置する記念館は、内藤廣による設計。冬で寒かったので余り実感しなかったけど、夏に来たら内部から外部につながる半屋外のようなスペースがとても快適そうだった。

その後はスーパーで買出しをし、夜はとある集まりに連れて行ってもらい、映画鑑賞。やはりどの地域にも文化芸術関係に興味を持って生きてる人々はいるわけで、そういった人達が集まって、映画をそれぞれが持ち寄ってみんなで酒飲みながら見る、という素敵な会。自分たちも東京から来た異質な存在だったと思うけど、それ以上にショーンというなぞのニュージャージー生まれアメリカ人も異質だった。

みた映画は、これ。


軸となるストーリー自体は、新聞の社会面に載るようなささやかなものなのだけれども、そこに人間らしい弱さと倫理的な正しさとの葛藤とかが、決して大きなストーリーとしてではなくて素朴に提示される。こういった、少し自分の感覚をずらしてくれて、先入観とか既成概念をずらしてくれる映画は本当にいい映画だと思う。最後の最後に予想もしてなかったちょっとした告白があるんだけど、でもそれってだから?、というかその告白によってストーリーにどんな影響あるの?というのとかも、無駄なようで必要で、よかった気がする。

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昨日の市場もそうだし、今日の土曜市もそう。夕方行ったスーパーでも感じたんだけど、高知に住む人は、自分の街の港で水揚げされた魚を食べて、県内の農地で採れた野菜を食べて、生活している。そこにはダイナミックな資本の循環とかは無いんだけれども、自然に生きている。そういうこと自体がむしろ珍しい時代になってしまって、うらやましいなと思っていることに気付く。
東京の方が日本各地の美味いものが新鮮なままで入ってくる、という話もあるのかとは思うのだけれども、あまりそういうのはうらやましいとは思わない。美味い、まずいという問題ではなく、根本的な部分で自然に、流れの中で流れに乗って生きている、そんな生活風景を見た気がする。

ただ自分の場合、生活を重視する余り、そこで生活をするためにそれにあわせて仕事をするという気持ちにもなれない。
ただ、今やっている仕事、日々通っている組織で働くことが自分のやりたいこと、目的でもないので、まずはその部分をきっちり見極めようと思った。
何をやりあいのかを突き詰めていく中で、それを実現しつつ、他方、日々の生活も自然な流れに逆らわないで自然に生きていく方法を探そうと。
ありきたりな言葉だけれども、インターネットの普及とか流通網の発達とか、中間組織をすっ飛ばしてつくり手や発信者と受け取り側や受信者が直接つながることが可能になってきている、そういった技術がようやく個人のレベルにまで還元されるようになってきたことに、もっと自覚的になろう。組織に入らないとできないと思っていたことが、さまざまな技術の発達の恩恵を受いけ、徐々に個人でもできるようになってきていると思う。